| 里見公園北西部の小高くなった上に2つの石棺が並んで置かれているのが見られます。この2つの石棺は文明11年(1479)、太田道灌が千葉自胤を援助して、臼井の千葉孝胤を攻めたとき、陣を築こうとして盛土を取り除いた際に露出して発見されたと伝えられています。
2基とも蓋石はありませんが、数枚の緑泥片岩を組み合わせた箱式石棺で、古墳時代後期(6世紀後半〜7世紀初頭)に、この地方に勢力を振るっていた豪
族の墓であろうと推定されます。
『江戸名所図会』にもこの石棺の記述がみられ、「一つは里見長九郎弘次の墓で、一つは正木内膳の墓だという言い伝えもあるが、どちらも誤りで上世人の墓だろう」と、正しい推測をしています。いずれの人の墓にせよ、こうした石棺は県内に多く見られものです。
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