◆  市川自然博物館だより  ◆

6・7月号

「都市と生物」 第2回

ア ユ

市立市川自然博物館  1995年6月1日発行

特集記事 街かど自然探訪 行徳野鳥観察舎だより ちょっと、いい所 観察ノート

 



特集記事



「都市と生物」第2回 アユ

 アユは、「清流の女王」と呼ばれ、日本を代表する魚のひとつです。一般には川の魚として知られていますが、実際には、一生の間に川と海とを1往復する回遊魚です。
 江戸川は、昔から数多くのアユが海へ下り、また、さかのぼる川でした。それは、現在でも変わっていません。しかし今は、時に、まったくの都市の都合によって、アユの行く手が阻まれることがあります。

江戸川を舞台としたアユの暮らし(sz381.gif、約19KB)
川で生まれ、海で育つ====

 アユの一生は、つぎのようなものです。
 産卵は秋、川で行われます。孵化したアユは、すぐさま海に下ります。体に残った卵黄の栄養を使い切る前に海に着くよう、一気に流れ下ります。
 海では、穏やかな内湾などで冬を過ごし、豊富なプランクトンを食べて春の遡上に備えます。若葉が萌え出るころ川への遡上を開始し、川をのぼったアユは、夏、なわばりを形成して石に生える藻を食べて育ちます。秋、産卵を終えると、アユのわずか1年の一生が終わります。

江戸川のアユ====

 アユが生活の場とするのは、最初は海、その後は川です。川では、夏の成長期は中〜上流を、産卵期はそれより下った一帯を使います。そして当然のことですが、それらの場所は水で結ばれている必要があります。
 江戸川は、利根川の中流域から分かれて東京湾に注ぐ川です。群馬県の山々からの清冽な水を流す利根川はアユの成長・産卵に適し、東京湾もまた、埋め立てや水質汚濁といった環境の悪化にもかかわらず、依然としてアユの稚魚を育み続けています。この川と海を結ぶ江戸川は、アユにとって理想的な通路というわけです。

アユの行く手を阻む都市の事情====

 江戸川は、東京湾奥を流れる川の中でもアユの流下・遡上が多いと言われています。江戸川や多摩川のアユに詳しい小泉正行さん(東京都水産試験場・研究員)の推計によると、例えば平成2年秋に江戸川を流れ下ったアユは 1,490〜 2,624万匹の範囲、翌春の遡上は約 298万匹で、同じ年の多摩川よりも多かったといいます。
 実際、江戸川では、遡上する稚アユを定置網で捕り、放流用として他の川に出荷する漁業が今も続けられています。江戸川のアユの多さがあってこそのことです。
 ところが昨年、江戸川を遡上した稚アユはここ数年で最低の数でした。いったい、どうしたのでしょう? 理由として、例えば冬の東京湾での生育が悪かったということが考えられます。しかし、少ない江戸川の一方で、多摩川は多かったといいます。ですから、冬の東京湾に問題はなかったわけです。じつは原因は、昨春の少雨がもたらした渇水にありました。
 利根川−−江戸川−−東京湾というアユの理想的な環境には、大きな問題が隠されています。江戸川本流上に設けられた唯一の水門「江戸川水閘門」です。この水門は、上流で取水する水道水や工業用水の原水に塩分が混じらないよう、海水の遡上を防ぐことを目的としています。潮が満ちるのに合わせて閉められ、引いていく時に開けられます。
 しかし、渇水だった昨春は干潮の時も水門はほとんど開きませんでした。それは、いったん川の水を流してしまうと、上流から流れてくる水が少ない分、水位の回復が見込めないからでした。
 時たましか開かない水門を前に、遡上を開始した稚アユがとまどったことは想像に難くありません。水道水・工業用水の確保という都市の事情が、渇水という異常な状況の中で、アユの行く手をさえぎってしまいました。



江戸川と多摩川(sz383.gif、約13KB)
江戸川と多摩川====

 昨春、江戸川とは対照的に、多摩川には多くの稚アユが遡上しました。それは、多摩川では水が流れ続けたからでした。
 多摩川は、江戸川にくらべると川の勾配が急です。したがって満潮で海水が上がっってきても、影響を受ける範囲が限られています。水門で止めなければ流山あたりまで海水の影響下に置かれる江戸川の場合とは、ずいぶん事情が違っているわけです。そのため多摩川では、渇水だった昨春も水は流れ続けました。遡上をはじめた稚アユは、その水をたよりに川に入ったのです。
 もっとも、多摩川にも問題はあります。その勾配ゆえに多くの堰が設けられているのです。魚道などの工夫があるとはいえ、遡上をはじめた稚アユが無事、上流まで達するのは、多摩川では困難なことです。

アユと共存できる都市になりたい====

 人間のための環境である都市−−そんな都市にあって、川という存在はユニークです。都市化が進んでどんなに住宅が立ち並んでも、ビルが林立しても、川は悠然とそこにあって、昔と同じようにたっぷりとした空間を確保しているからです。川は、ある意味で都市に残された聖域的な空間といえるかもしれません。
 これまで、都市が川に求めた機能は2つありました。治水と利水です。いうまでもなく、治水とは水害を防ぐことであり、利水とは都市が利用する水を手に入れることです。しかし、それらがある程度満たされた今日、都市は別のものも川に求めるようになりました。川がもつ空間に目をつけた親水(レジャーや憩いの場としての川)であり、かけがえのない自然環境としての川です。
 小泉さんは言います。「少しずつでもいいから水を流し続けてくれれば、江戸川はアユにとって、もっといい川になるはずだ」と。そして、建設省・江戸川河口出張所の山口充弘所長は、「アユも含め、これからは野生生物にも配慮した川にしていきたい」とおっしゃっています。
 都市のなかをとうとうと流れる川、その存在があたりまえすぎて、もしかしたら都市に暮らす人々は、川とは何であるか忘れてしまったかもしれません。しかし今日、都市を流れる川に対するニーズは多様です。都市の川がもつ多面的な性格−−アユの暮らしを見ることで、その一端をかいま見ることができそうです。

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街かど自然探訪


カット(sz384.gif、約5KB)
下貝塚・谷を見下ろすのは誰?

 下貝塚を歩くと、新しい住宅の中にも立派な農家が見え、昔の面影を今に伝えています。ここは大柏谷(大柏川が流れる谷)の枝谷で、かつては谷底に水田が広がっていました。いわゆる谷津田です。
 谷の奥には春日神社があって、そこにイチョウが生えています。大きな木で、谷の至る所から見える位置にあります。農作業の手を休め一服つくと、ちょうど、このイチョウが見えたのでしょうか? 今では谷底にも家が建ち、イチョウは見えにくくなってしまいました。

 


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行徳野鳥観察舎だより



風かおる

カット(sz385.gif、約2KB)  新浜通りから福栄公園の横を通って観察舎に至る道へ。両側はみごとな新緑。視界がぱっと開け、保護区の水面が目に入るようになると、ほおにあたる風がかおりはじめる。
 丸浜川の土手道沿いは小かん木の花でいっぱいだ。香り高いスイカズラ、ノイバラ、トベラをはじめシャリンバイやタチバナモドキなど。どれも白か黄白色の地味な花だが、バラなどの栽培種とは比べられないさわやかな芳香は呼吸するだけで寿命がのびる。
 まもなく栗の花が咲き、むせるような濃密な匂いが他を圧する。刈りたての青草の匂いもまじる。夏を目前にした若々しくたくましい匂いだ。それまでのほんのいっとき、かぐわしい風のかおりを楽しんでいる。

(文と絵:行徳野鳥観察舎 蓮尾純子 )

 

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ちょっと、いい所




アナジャコ釣りにチャレンジ! 江戸川放水路

カット(sz386.gif、約8KB) 湾岸道路や京葉線下の両岸には、アナジャコが多数生息している干潟があります。アナジャコを捕まえるには、大潮の日前後の潮のよく引いた時間に筆を持って出かけましょう。
 潮の引いた干潟の水ぎわ近くへ行って、表面の砂を数cmかきとると、アナジャコの住むまんまるの穴が見つかります。穴は、直径2cm前後、壁がしっかりとして真っ直ぐに伸びています。この穴に筆を差し込み待っていると、中にいるアナジャコが筆を穴から出そうと押しはじめます。持ち上がってきた筆を、毛先ごとつかむと、アナジャコが捕まえられるというわけです。

【江戸川放水路へは…】
 JR本八幡駅南口より、行徳橋経由のバスに乗車「行徳橋南詰」または「行徳橋北詰」下車。土手を歩いて湾岸道路の下までは約3kmあります。

 

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わたしの観察ノート No.20



◆大町自然観察園より−−−−−−−−
以上 須藤 治(自然博物館) 
 
※フクロウは、2か月近く自然観察園にいましたが、巣箱での繁殖はなかったようです。
以上 阿部則雄さん(船橋市在住) 
以上 金子謙一(自然博物館) 
村岡敏夫さん(足立区在住) 

◆南大野より−−−−−−−−−−−−
高畑道由さん(南大野在住) 

◆柏井雑木林より−−−−−−−−−−
以上 柏井研究講座にて 

◆堀之内貝塚公園より−−−−−−−−
◆じゅん菜池公園より−−−−−−−−
◆真間山より−−−−−−−−−−−−
以上 根本貴久さん(菅野在住) 
 ※キンランは盗掘されてしまったそうです。

◆里見公園付近より−−−−−−−−−
秋元久枝さん(国府台在住) 

◆葛飾八幡宮より−−−−−−−−−−
金田武士さん(若宮在住) 

 

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