◆  市川自然博物館だより  ◆

12・1月号

「都市と生物」 第5回

ホンドタヌキ

市立市川自然博物館  1995年12月1日発行

特集記事 街かど自然探訪 行徳野鳥観察舎だより ちょっと、いい所 観察ノート

 



特集記事



「都市と生物」第5回 ホンドタヌキ

 ホンドタヌキ(以下タヌキ)は、本州、四国、九州に分布するイヌ科の動物です。人里近くに普通に見られた馴染み深い動物でした。都市化によって生息地や食物を奪われ、都市やその周辺部からは徐々に分布が退行していったとされています。しかし近年都市周辺部でタヌキの目撃情報や交通事故の報告が増加してきており、再び都市周辺部へタヌキが進出し、分布域を拡大させてきているのでは? と注目されています。

増えている?“まち”のタヌキ−−−−−

 市川市では、戦前には市内のあちこちでタヌキが生息していたようです。自然博物館が行った昭和初期の自然環境についてのアンケート調査では、現在は都市化の進んでいるJR総武線以南にもタヌキが生息していたことがわかりました。
 1978年に環境庁が実施した「自然環境保全基礎調査」によると、市川市をはじめ、千葉県西部の船橋市、松戸市、鎌ヶ谷市、浦安市などでは、1978年現在タヌキは生息しないとされました。さらにこの調査では市川市のほぼ全域で昭和20年代には、タヌキが絶滅したと報告されました。
タヌキの目撃・死体発見場所(sz411.gif、約3KB)  タヌキは夜行性のため、その生息状況を知ることは、あんがい難しいものです。しかし、ゴミ捨て場周辺や餌付けしている人家周辺での目撃や道路上での交通事故による死体の発見がきっかけで、身近にタヌキが生息していることを知ることができます。 絶滅したとされた市川でも、“まち”なかで最近こうしたタヌキの目撃や事故死体が発見されるようになってきました。
自然博物館に寄せられたタヌキの情報はまだ僅かですが、これをもとに近年の市内のタヌキの生息状況をみてみると、その分布はまだ総武線以北に限られています。
 またタヌキの分布情報は市北部に均一ではなく、西部の国府台周辺、中部の下貝塚、北方周辺、北東部の大町周辺、東部の柏井町などの住宅地と雑木林が隣接した地域に集中しています。
現在市内でタヌキの繁殖が確認されているのは、1989年北国分町、1994年真間5丁目の2例だけです。しかし、その他の場所でも親子連れのタヌキが目撃されています。
 これらの情報から、市川市内で一度絶滅したタヌキが再び隣接する松戸市、鎌ヶ谷市、船橋市などから進出し、行動圏の異なるいくつかのタヌキ群が都市化の進む市内に定着している可能性が考えられます。

タヌキは何を食べているのか?−−−−−

 野生動物は、生活の大部分を食べ物の確保に費やしています。都市化された市街地周辺の“まち”に新たに進出してきたタヌキが、何を食べているのかを知ることは、タヌキの生活を知る重要な鍵となります。
 タヌキは元来、雑食性で「何でも食べる」といわれています。山地で生活するタヌキは、野ネズミ類、鳥類、カエル、ザリガニ、昆虫類、ミミズ類、種子や果実類等の地表周辺で容易に採集できるものを季節に応じて、食料としています。
 では、“まち”へ進出してきたタヌキは何を食べているのでしょうか? 神奈川県川崎市で、交通事故などにより死亡したタヌキの胃内容物を分析した結果では、自然界で得られる食物を利用してはいるものの、年間を通じて、残飯類(人為的に給餌されたものを含む)が最も多く、主要な食物となっていました。また、季節によってどんな食物を得ているのかを分析したところ、自然界に利用できる食物が多い春〜秋の間は、残飯類の相対的な利用度が低くなっていますが、他の食物が不足する冬には全面的に残飯類に依存していることがわかりました。市川市でも残飯捨て場や給餌している民家で採餌するタヌキが見られ、食物を残飯類に頼る様子が伺われます。
 残飯類、特に給餌されている食物は、他の食物と異なり年間を通じて供給される量の変動が少ないことが、大きな特徴です。残飯類を主な食物とすることにより、食物の少ない冬でも、食いはぐれることが少なく、餓死する個体が減ったり、翌年の繁殖に有利になります。タヌキが市街地周辺の“まち”へ進出してきた理由のひとつに、「残飯類を得やすい」ということが上げられるようです。

食物の種類、利用食物の季節変動(sz412.gif、約20KB)


ねぐらと餌場を行き来するタヌキ−−−−

 タヌキは日中も活動するものの、基本的には「ねぐら」で休息していて、餌探しなどで活発に行動するのは主に夜間ですけれども、一晩中うろうろしているわけではなく、深夜にはねぐらで休息をし、日の入り後と日の出前に活動のピークがあります。
 タヌキの行動範囲は、地形や餌の量、生息密度などによって変わります。都市化が進む川崎市の生田緑地周辺で調査された例では、行動範囲はおよそ30ヘクタールでした。
 生田緑地周辺のタヌキは、夜間はねぐらから住宅地にあらわれ、主に給餌している住宅やゴミ集積場へ集まって食物を得ていました。けれども住宅地は餌場として利用しているだけで、日中の休息場所や巣穴となるねぐらは、緑地内の無人の保存家屋や緑地に隣接する林床がアズマネザサ等で密に覆われている林のなかにありました。
 タヌキは本来、人里近くの樹林地や草原などの『緑地』にねぐらを持ち、そこで自然の食物を得て生活する動物です。しかし生田緑地周辺での調査の結果では、都市化によって住宅地や市街地が拡がり、一部に緑地が残っている都市周辺部の“まち”では、タヌキの行動圏も少々様変わりしていることがわかります。
 “まち”のタヌキの行動圏は、ねぐらを確保し、自然の食物を採食する場所である『緑地』と、さらに給餌物や残飯類などの魅力ある安定した餌が得られる『住宅地』の2つの場所で構成され、タヌキはこの2つの場所を行き来しているのです。
 市川市内でも、ねぐらのある『緑地』と餌場である『住宅地』の間を行き来する様子が目撃されています。また路上でタヌキが交通事故にあうことが増えているのは、ねぐらと餌場の間を往来する途中で道路を横切らなければならないからなのでしょう。
 タヌキの交通事故は、市川市でも増えてきていますが、川崎市や町田市では林の多い地域よりも、都市化により連続した林が分断され、島状に取り残されているような地域で交通事故が増えているようです。
 林が連続していれば、タヌキは林づたいにねぐらと餌場の間を移動できます。身を隠すものの無い住宅地では、移動に危険が伴うため、生け垣や道路脇の側溝などを通り道にしているようです。安全に行き来できる環境があるかどうかも“まち”のタヌキの分布に大きく関係しているようです。

人間へ近づくタヌキ−−−−−−−−−−

 都市化によってねぐらや餌が奪われてきたタヌキは、多くのリスクを背負いながらも餌を人の出した残飯などに頼ることで生活する術を得ているようです。市川の自然状態を知る目安としてタヌキの今後の動向が注目されます。

市川市のタヌキについては、まだまだわからない事ばかりです。タヌキを目撃したり、死体を発見された方は貴重な情報となりますので、自然博物館までご連絡ください。


《引用・参考文献》

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街かど自然探訪


地図「市川砂州周辺」(sz413.gif、約4KB)

新田・体験!市川砂洲

 およそ3千年前、現在の京成電車の線路に沿うような形で広がっていたといわれる「市川砂州」の存在を、新田1丁目と5丁目で体験することができます。ポイントは春日神社と胡録神社で、地面を被うサラサラの砂が、ここが砂州であったことを教えています。また、そこから国道を越えて南へ向かうと、途中で土地が一段、低くなっています。階段数段分の段差ですが、その高さの差もまた、砂州の存在を実感させてくれます。

 


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行徳野鳥観察舎だより



冬 眠

カット(sz414.gif、約1KB)  うわっ! たった今スコップで掘った土の中で、何かが動いた。ぬるっとして細長い。ウシガエルの足でも切ってしまったか、とおそるおそる拾い上げると、これがなんとドジョウ。長さ15cmばかり、たっぷり脂肪をつけてウナギと思いたくなるほどの太さ。
 一ヶ月も前に干し上げた棚田の一角で、表面は乾き、水などどこにもなかったが、ドジョウが出てきてこんにちわ、の15cmほどの深さの粘土質の泥はいちおう十分に湿り気をおびて、ドジョウもちっとも困った様子ではなかった。「柳の下にドジョウ」はあまりないことの表現ではなかったかしらん。
 危うく難を逃れたドジョウを池に放して、とりあえず一件落着。いやあ、びっくりした。

(文と絵:行徳野鳥観察舎 蓮尾純子 )

 

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ちょっと、いい所




元祖・ハクセキレイの集団塒 市川橋

カット(sz415.gif、約14KB)  鳥が寝る場所を塒(ねぐら)といいます。ふつうは林やヨシ原といった場所に構えますが、ハクセキレイは、かなり人間くさい場所に集団で塒を形成することが知られています。最近では、街路樹の塒が各所で目につくようになりました。
 江戸川にかかる市川橋(国道14号線)はハクセキレイの集団塒として有名なところです。冬の夕刻、東京都側の河川敷グラウンドに三々五々集結した後、日没と前後して橋の下のパイプの隙間に飛び込んでいきます。でも、最近は以前ほどの賑わいがなくなったとも言われます。はたして、今冬はどうでしょうか?

【市川橋への交通】
 最寄り駅は、JR総武線・市川駅か、京成線・国府台駅です。国道14号線の市川広小路に出て坂を上がって、市川橋を小岩側まで渡って観察します。

 

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わたしの観察ノート NO.23



◆大町自然観察園より−−−−−−−−
以上 須藤 治(自然博物館) 
大関義明さん(大町在住) 
籔 忠さん(本北方在住) 

◆南大野より−−−−−−−−−−−−
高畑道由さん(南大野在住) 

◆柏井雑木林より−−−−−−−−−−
以上 柏井研究講座のみなさん 

◆北方遊水池付近より−−−−−−−−
石井信義さん(菅野在住) 
長崎誠さん(下貝塚在勤) 

◆江戸川(里見公園付近)より−−−−
◆堀之内貝塚より−−−−−−−−−−
◆小塚山市民の森より−−−−−−−−
◆真間山より−−−−−−−−−−−−
 
以上 根本貴久さん(菅野在住) 

◎戦後最大級の台風もコースを外れ(9月)、結局、台風の来ない秋でした。


 

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