◆  市川自然博物館だより  ◆

12・1月号

市立市川自然博物館  1998年1月10日発行

特集記事 街かど自然探訪 むかしの市川 観察ノート

 

「市川の大地」5

湧 水

  稲越町・国分高校東側の道沿いに、斜面のすそからしみ出した湧水が見られる。黒く見える部分には、一年を通して浅く水が溜まっている。かつてはこのような場所が、台地の周縁に沿って市内にはたくさんあった。



特集記事



「市川の大地」5  湧水

  かつて市川には、たくさんの湧水がありました。湧水は飲み水や洗い水に利用されたり、田んぼに引かれたりして、人々の生活に深く結びついていました。でも、湧水は市内のどこにでもあったわけではありません。今回は、湧水と地形や地層との関係を探ってゆきます。

図1.湧水の分布(sz471.gif、約24KB)

市川の湧水の分布

  図1は、市川市が発行した「市川エコマップ」から引用しました。この図は、かつて市川市内に存在した湧水のうち、存在したのがわかっている場所について示しています。つまり、これが全ての湧水ではありませんが、地形と分布の関係の傾向を知ることができます。
  ほとんどの湧水は、台地の周縁に沿ってあり、市の中部以南の低地にはありません。台地を刻む谷津や川沿いの谷の中も、広く見れば台地の周縁で、また八幡地区のような微高地にも湧水はありました。

湧水があるための条件

  湧水があるためには、いくつかの条件が必要です。ひとつめは、雨水が台地の地面にしみ込むこと、ふたつめはしみ込んだ雨水が地下水として地中に貯えられること、みっつめは地下水が地表に現れるための出口があることです。
  雨水は、台地の上が畑や林など自然のままの地面だと、大部分がしみ込むことができます。ところが道路が舗装されたり畑が住宅に変わると、雨水は側溝や雨樋から川に流されてしまい、しみこむことはできません。

図2.地下水を含む地層(sz472.gif、約7KB)

  しみ込んだ雨水は、どうなるのでしょうか。図2は、地下水がどの層に多く含まれているかを調べた一例です。この例では、砂層の中にある粘土層を境にして、上の層に水が多く下の層に少なくなっています。これは、水を透し難い性質をもつ粘土が、水の移動を妨げているからです。地下水は、粘土層より下の層に移動できず、上の層に溜まるのです。
  多くのボーリング調査などの結果、市川の台地では、地表面から十数m下に、粘土層が、広い範囲であることが分かっています。そしてこの層の上の砂層中に地下水が溜まっています。
  地下水は、地表への出口がないと、台地に溜まったままです。台地の周縁の崖は、台地が削られてできた所なので、そこでは台地の地下の地層があらわれています。地下水の上部が崖のすその高さまであると、そこが出口になって地層中にある水は出てくることができます。
  このために市川の湧水は、台地の周縁に多いのです。直接地層が見える場所は少なく、斜面林で覆われている場所がほとんどなので、湧き出すというよりは、植物や表土の間を通って斜面のすそからじわじわとしみ出す感じです。また場所によっては、露出した地層が湿っているだけだったり、谷底から湧いているように見える場所もあります。

図3.湧水のしくみ(sz473.gif、約20KB)


現在の湧水

  市内では、雨水のしみ込みが減ったために地下水の量が減ったり、土砂やコンクリートで出口がふさがれたために、湧水が出なくなってしまった所がほとんどです。
  豊富な湧水で知られる大町自然観察園(1)は、周辺の台地上が梨畑のため雨水のしみ込みが多く、自然のままの斜面も残されています。観察園を中心に、現在も見られる市内の湧水をいくつか紹介します。(数字は図1中の数字に対応)
  観察園では、斜面のすそのいたるとこから湧水がしみ出し流れています。最奥部東側の斜面の下では、木の杭の隙間から湧き出してくる水を見ることができます。こういう湧水は、観察園以外では稲越町の国分高校東側の道沿い(2)や、柏井公民館前の道の西側(3)に見られ、かつての斜面すそにあった湧水地の面影を今も残しています。
  観察園の中ほど西側に、通称「三角池」と呼ばれる池があります。この池は、流れ込む川がないのに、いつも水があります。これは池が谷津の枝谷の中にあって、まわりからの湧水を集めているからです。一見するとただの“たまり水”のようですが、園路の下の水路を通りいつも水が流れ出しています。中国分のじゅんさい池緑地の池(4)もこのような池の一つです(今は汲み上げた井戸水も混じっています)。また曽谷の弁天池公園の池(5)、曽谷3丁目七面大明神の池(6)、竜神を祀る中山の竜池(7)なども、池の周囲が整備されたために谷の最奥にある池という感じはなくなってしまいましたが、同様の池と見ることができます。奉免町の市川東高校正門の北側の池(8)は、崖のすぐ下にある池です。ここもかつてはきれいな水をたたえた池でしたが、今では湧水量が減って水が淀んでしまいました。
  観察園の湿地では、砂を巻き上げて水が湧きだしている場所が数カ所あります。市川の低地のほとんどが水田だったころは、このように湧きだす場所の回りを囲って水を溜め、灌漑や洗い場などに利用していました。なかでも「たなや」と呼ばれる場所は、籾を水に浸す神聖な場所として、大事にされていたそうです。市川北高校南西の田んぼ(9)の中に、今でも大切に祀られている「たなや」があります。水田の中の湧水は、水田の埋め立てとともに消えてゆきました。
  里見公園の『羅漢の井』(10)は、古くから知られる市川の銘水です。斜面の中ほどから出る湧水で、これは高い位置にある粘土層 (常総粘土) の上に地下水が溜まっているためです。この粘土層は市内でも場所によって層の厚さなどが異なるため、地下水はあったりなかったりし、湧水になることは稀です。柏井青少年の森入口にある池(11)は、こうした地下水に由来しますが、渇水期には水がなくなってしまいます。
  この他にも、雨がやんで数日経っても地面がぬれているならば、そこには湧水が細々と生きている可能性があります。

参考文献   ※中央図書館などで閲覧できます。


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街かど自然探訪



田尻・住宅地の田んぼ

カット(sz474.gif、約13KB)
  かつて田尻には、その名の様に田んぼが一面に広がっていましたが、現在では数カ所に残っているだけです。
  この周辺の田植えの時期は遅く、ゴールデンウィークが過ぎる頃に田んぼに水が引き込まれ、五月中旬頃終わります。そして、九月中頃になると実った穂をたくさんつけた稲を、手作業で刈る人の姿を見ることができます。季節によって田んぼが変わってゆく様子を見るのもいいものです。



千鳥町・かつて千鳥が・・・・・

  車の渋滞と工場群の印象しかない千鳥町も、古い地図と見比べてみると町名の由来に納得がいきます。埋め立てが行われる前、ここは、行徳沿岸に広がっていた干潟の一部だったからです。
  干潟はチドリ類の宝庫です。シロチドリ、コチドリ、メダイチドリなど、おそらく数多くのチドリ類が見られたことでしょう。行徳の地名というと塩にちなんだものが有名ですが、千鳥町の名も、かつての行徳にちなんだ町名なのです。

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むかしの市川



揺れる運動場

カット(sz475.gif、約16KB)   昭和47年、私は大柏小学校に勤めていました。当時学校の下の平地は田んぼが埋め立てられ、一面の原っぱでした。その土はあまり肥えた土ではなかったようで、あまり草が生えませんでしたが、秋に数本のオミナエシが50cmくらいの高さで立っていました。
  この土地の一角を48年に借りて運動場にしました。行ってみると埋め立てたばかりのせいか、地面がやわらかい感じがしていました。9月になり、運動会の練習が始まり、全員が準備運動で跳躍をしました。すると、そのたびに地面が上下し、2〜3cmも動いているように思われました。田んぼを埋め立てたばかりだからだろうか、それにしても動きすぎると思い農家の人に聞くと、この辺は泥が腰より深くもぐるところで、その上に土を入れたからでしょう、ということでした。この土が落ち着くのには、どのくらいかかるのでしょうか。

(博物館指導員 鎗田安之 記)


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わたしの観察ノート No.29



自然観察園より
動植物園より
柏井雑木林より
江戸川より
里見公園より
国府台より
真間山より
じゅん菜池より
小塚山市民の森より
国府台〜北国分一帯より
以上 根本貴久さん(菅野在住) 

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