◆  市川自然博物館だより  ◆

2・3月号

「市川の大地」6

地層が語ること

市立市川自然博物館  1998年2月10日発行

特集記事 街かど自然探訪 むかしの市川 観察ノート

 



特集記事



市川の大地6『地層が語ること』

崖の露頭(sz481.jpg、約54KB)
  大野町4丁目で見られる露頭。崖が削られたばかりで、地層がよく見えた時の様子。ササが繁っている上方に、縞模様の斜交葉理が見えている。  


  市川市の北部、台地の地下のようすについては、この特集シリーズ市川の大地1『低地と台地』(博物館だより第43号)でふれました。台地の地層をさらに詳しく観察すると、この地域が海から陸に変わっていった記録ともいうべき事実を発見することができます。


図.崖の露頭(sz482.gif、約39KB)

砂の層に見られる2種類の縞模様

  市川市北部の崖に見られる地層は、図1のようにおおまかに3部に分かれて見えます。上から、褐色の赤土の層、灰色がかった常総粘土層、そして一番下の黄褐色の砂の層です。これらの層は、どれもほぼ水平に広がっています。だから、これらの層ができた時、砂などは水平に水平に積もったように思うのが普通です実際、一番下の砂の層の下部には、ほぼ水平の縞模様が見られます。

  ところが、この砂の層の上部には、図2や図3のような縞模様が見られるのです。地層に見られる、この細かい縞模様は葉理(ようり)と呼ばれます。葉のように薄いすじという意味です。図2では、この葉理が水平でなく、斜めに傾いています。だからこの部分では斜めの面に砂が積もっていったに違いありません。でも図2や図3の部分を、全体としてみると水平方向に広がっているのです。例えていうと、水平な棚の上に立てて並べた書物が倒れ全部の書物が同じように傾いてしまったという形に似ています。

  このように、葉理の方向が地層の広がりの方向に対して斜めに交差しているために、これを斜交葉理(しゃこうようり)といいます。どんな時にこの斜交葉理が出来ていくのでしょうか。

  この砂の層には、砂粒だけでなく丸みを帯びた小石も入っていて、葉理に沿って並んでいます。手に取って見ると、表面がスベスベに磨かれたようになっています。これは山地で岩が砕けてできた石が、川の流れに運ばれるうちにぶつかりあって角がとれ磨かれてできたと考えられています。ですから、この層は水の底に積もってできたものと言えます。ただ川や海などの底に砂などが堆積してゆくようすを、実際に見ることは困難です。そこで室内でできる実験をヒントにして考えを進めてみましょう。

図.堆積実験装置(sz483.gif、約13KB)
図.堆積の様子(sz484.gif、約27KB)

堆積の様子と縞模様

  図4−1のように、細長い透明なガラス管かプラスチック管(A)の一方の端に栓をして立て、7〜8割程度水を入れて置き、別にビーカーのような容器(B) に水と土を入れてよくかきまぜます。AにBの濁り水を注ぎ入れしばらく放置すると、Aの下部に図4−2のように砂や粘土が層状に堆積します。

  これで見ると、層は全く水平で斜交葉理はできません。この結果から考えると、図1の最下部の水平に積もった砂は、静かな水の底に堆積したと言えるでしょう。海や湖では、およそ30mより深い所では、水面に強い波が立っているときでも、水の動きはほとんどないということですから、この砂が堆積した当時の水深は浅くはなかったと想像されます。

  逆に、斜交葉理を示す砂の層が堆積した時は、水が静止してはいなかったのだろうと思われます。そこで水が流れている状態で実験してみたらどうなるでしょうか。図5のように、透明なプラスチックでできた浅くて細長い水槽を使います。両端に水の出入りのための管が付いています。一方の端の管Mへホースで水を送ると、水槽に水が溜まり、Nの管からあふれる水が出ていきます。水をゆっくりと流しながらM側の端に砂を少しづつ入れてやると、砂は水の流れに動かされながら容器の底に堆積して、図6のような縞模様ができます。このとき水の流れの速さが重要な条件で、砂粒の大きさや重さにもよりますが、すこしでも速すぎるとこのような堆積は起こりません。

  図6のような層ができた後で、水の流れをもっと速くすると、せっかく堆積した砂が水に運び去られて、層が削られていき図7のようになります。そこでもう一度水の速さを初めと同じに遅くして、砂を入れてやると、図8のように削られた層の上にまた新しく斜交葉理のある層ができます。このように流れのようすが変化する事で、複雑な地層の重なり方ができていくのでしょう。

  ふたつの実験の結果から、図2に見られたような斜交葉理は、水が流れている水底に砂が堆積するときにできると考えられます。図3のような更に複雑な層ができる条件を考えるヒントはこの実験からは得られません。流速や流れの方向あるいは水深などの変化が複雑にからみあって図3のような斜交葉理ができるのでしょう。このような斜交葉理は、現在も河口に三角州ができてゆくときなどに作られていることが知られています。従って、図2や図3の斜交葉理のある層は、小石を含んでいることも併せ考えて、より浅く陸地に近い、水の流れのある水底に堆積したと言えるでしょう。

海から陸へ

  これまで見てきた砂の層は、下総台地や武蔵野台地などに広がっていて、その各地から海産の貝の化石が発見されています。つまり、市川市地域も昔は海底だったことがわかります。ところが、常総粘土層からは陸に生える樹の幹や枝が発見され、また赤土の層は、火山の噴火による火山灰がそのまま積もったものであることがわかってきたので、この2つの層が積もったときは、もう海ではなかったと考えられます。

  従って、市川地域は海底であったのが砂などで自然に埋められ浅くなり、それに大地の隆起なども加わって陸化してゆき、そこに火山灰が積もり、さらにその後の川の流れの浸食などの働きの結果、現在見るような台地ができていったと考えられるのです。

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街かど自然探訪



稲荷木・内匠堀のなごり

  京葉道路の市川インターから新行徳橋へ向かう右手に普段は水が淀んだ水路がわずかにあります。この水路は、かつて大柏川から行徳へと農業用水を引いた内匠堀が、現在では唯一地表に姿を表した場所なのです。
  古い地図を見ると、稲荷木には、内匠堀だけでなく縦横に水路が走っており、江戸川に面するところには水田の用水や悪水を出し入れする秣杁(まぐさいり)という水門もありました。水田が埋め立てられていく今日、水路もその姿を消しつつあります。

昭和14年の稲荷木周辺(sz485.gif、約19KB)




カット(sz486.gif、約3KB)

富浜・街路樹のマテバシイ

  富浜のバス通りに植えられている街路樹は、マテバシイです。どんぐりを付ける木の一種で、大きくて丈夫などんぐりをたくさん実らせます。といっても、街路樹のマテバシイではどんぐりは期待できません。常に安全が優先され、倒れたり枝が落ちたりしないように剪定されてしまうからです。
  どこか公園などに大きなマテバシイがあって、その下でみんなでどんぐり拾いができるといいですよね。

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むかしの市川



イタチ

カット(sz487.gif、約9KB)   私が八幡小学校に勤めていた昭和35、36年頃のことでした。
  ある日の午後のこと、校舎一階中央の事務室から、女性の「キャー」という悲鳴に似た声が聞こえてきました。ちょうどその時隣の図書室にいた私は、その声を聞いてすぐ事務室に行きました。「何があったんですか」と聞くと、「今茶色をしたものが、入口から飛び込んできて中を走り回ってから、戸棚の後ろに逃げこんだんです。猫くらいの大きさですが、体は細く、尻尾が太くて大きかったみたいです。」ということでした。
  その言葉から、思いついたのはイタチでしたが、人家の密集した町中の、それも1,000 人以上の人が集まっている小学校へ、夜活動することの多い動物が来るだろうか、とすると他には…、と考えながら戸棚を動かして捕まえてみると、やはりイタチでした。どうしてここに、と思いながら見つめなおしました。

(博物館指導員 鎗田安之 記)


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わたしの観察ノート No.30



自然観察園より
柏井雑木林より

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