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幸田 露伴 こうだ・ろはん 小説家・学者 慶応3(1867)年〜昭和22(1947)年
幸田 文 こうだ・あや 随筆家 明治37(1904)年〜平成2(1990)年
露伴は、江戸文学や漢籍への造詣が深く、『五重塔』『評釈芭蕉七部集』などがある。昭和12年第1回文化勲章受章。
東京・小石川の蝸牛庵を東京大空襲によって失い、信州や伊東に疎開した後、門下生の土橋利彦(塩谷賛)の世話で、娘の文、孫の玉子とともに菅野(現菅野4丁目)に移り住んだのは、荷風が市川に越してきた12日後の、昭和21年1月28日のことであった(文と玉子は昭和20年11月に市川入りをしていた)。
荷風が、早くから露伴を敬愛していたことは知られており、戦後、同じ市川に住む作家同士ということで対談も企画されたが、実現しなかった。昭和22年8月の露伴の葬儀の折りに、荷風は門外にたたずみ、弔意を表したエピソードは有名。
次女文も、父露伴の追憶記を書いて随筆家として世間に注目された。『日乗』には、昭和25年1月16、17日に来訪の記述が見られる。文による露伴と荷風の思い出をつづった「すがの」は、『荷風全集附録第15号』(昭和25)に発表された。ほかに、『雀の手帖』(昭和34)にも露伴と荷風の思い出が語られている。
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